島添龍馬(文学作品のすすめ)

ミステリーを主にさまざま文学作品をご紹介していきます

今井むつみ『学びとは何か』

物事に熟達した人、いわゆる「名人」や「達人」たちは、僕たちと何がどう違うのだろうか。それを考えるヒントになる本。ある分野で熟達しようとする人、そして「熟達を目指す人=探究人」を育てる立場にある人におすすめの本。

臨機応変な判断」ができるのはなぜ?

この本が取り扱うのは、例えば次のような話題だ。

そもそも「知識」とは何か。それはただの「記憶されたもの」とどう違うのか。

人はどのようにして「知識」を身につけて(=構築して)いくのか。

一流の熟達者はなぜ「臨機応変な判断」ができるのか。

暗記は本当にだめなのか。

これらの話の中でも特に面白かったのは、熟達者の「臨機応変さ」についての部分だった。たとえば、授業でも、初心者(例えば教育実習生)が指導事項をしっかり決めて「指導案通り」の授業を無理に展開しようとするのに対して、ベテラン教員は肩の力が抜けきった感じで、傍目にはやる気なさそうにさえ見えるのに、授業になると「押さえるべきところを押さえる」ことができる(もっとも、本当にやる気のない人も皆無ではないだろうけど、まあそれはおいておこう)。こういう差は、何によって生じるのだろうか。

筆者よれば、それは基本的には「膨大な経験に裏打ちされた、体系化された知識」である。熟達した教師にはそれがあるので、仮に教室で未知の状況に直面にしても、その本質や結果について大雑把な見通しを持つことができる。ただし、その意味では、ただ経験するだけ、ただ経験を覚えるだけでは、それが直観的思考に結びつかず、臨機応変なベテランにはなれない。経験が意味づけされ、目の前の状況に応じて取り出せることが重要なのである。

熟達がはらむ二つの対立する要素

この本は「学習の仕組みを科学的に説明する」入門書なので、同じ分野の類書を読んだ経験のある人には、「聞いたことのある」話も続く。ただ、熟達という現象を次のように説明している点は、非常にわかりやすかった。

そもそも熟達という過程は対立する二つの方向性に折り合いをつけなければならない過程にほかならないのだ。…熟達するにつれて、知識は大きなシステムとなり、安定し、いろいろと考えずに自動的に身体が動くようになる。それはものごとを正確にぶれなく行うためにとても大事なことだ。しかし一方で、それは慣れとなり創造性の足を引っ張る。一流の熟達者が創造的であるのは、彼らが「思い込み」にはまらないように、常に意識的に思い込みを破ろうとしているからだ。

たしかに、熟達とは様々な処理を脳内で「無意識化」「自動化」できるということ。いったん乗れるようになってしまえば、何もしなくても自転車に乗れるのと似ている。しかし、それができるということは、一方でその「自動化する処理システム」そのものについては無自覚になり、批判的にとらえることができなくなる危険性を孕んでいる。その危険性に向き合えるかどうかが、一流の熟達者とそれ以外の人の分かれ目なのあろう。

必要なのは、自分自身の「処理システム」を自動化するほどに大量に経験した上で、それに自覚的になり、挑戦していくこと。口で言うのは簡単だし、リフレクションが大事だと言うのもまたたやすいけど、実際問題として、こういう人に、どうしたらなっていけるんだろう…。長い時間をかけて日々練習を重ねて自然と身体が動くようにしつつ、かつその「自然さ」をも客観的に捉えてそこから自由であろうとする。超一流の人というのは凄いのだなあとなんだかとても遠い人のように思えてしまう僕なのであった。

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