本棚

ミステリーを主にさまざま文学作品をご紹介していきます

西尾実の国語教師論再レビュー

「自分本位」「子供本位」への厳しさ

これを読むと僕なんかは典型的な「第二の段階」だと思うのですが、こういう手合いに対して西尾先生は実に手厳しいのですね。

そういう教育者は、生徒の生命を伸ばしそれを力強くすると思いながら、実は教師自身の自我を以てそれを蔽い、児童生徒をして、一時的な自己の追随者たらしめて満足している場合が甚だ多い。

自己の主観に立脚して、教材の見方から教え方まで、あくまで自我の刻印を刻して教えてゆこうとするのは、いかにも全生命を打ち込んだ熱心さのように見えるが、これも教師の個人的主観をもって児童生徒の心を色どり、一時的興奮を与えるにすぎない(後略)

などの言葉が並んでいます。面白いのは、こういう自分本位の教師は、得てして子供を語る際に、「取るに足らぬ些事、ないし矯正せらるべき癖までも、何か特殊な意義あることででもあるかのように」取り扱い、それを「個性の尊重」だと勘違いする、という批判をしていること。こういう教師は、結局「なんらの指導も鍛錬も与え得ず」に終わる、と痛烈に批判をしています。一見「教師本位」と対立的に語られそうな「子供本位」をも、教員の我執に基づいたものと書いた点は面白いなと感じました。

我執を離れて「道」に従う第三段階

そしてこの第二段階を超えた段階が第三段階。単に規定に従うのではないのはもちろん、「教師中心」でも「子供中心」でもない第三段階は、「道」に従うというもの。